文章の書き方に関する本を読んでいて、「あいまい表現」について注意する項目に触れた。

 

それは、例えば「亡くなった友人のご両親」という言葉のことで、「亡くなった[友人のご両親]」であれば亡くなったのはご両親であると読める。一方、「[亡くなった友人]のご両親」であれば、亡くなったのは友人であると読める。文脈から判断することになるのか、別の書き方を探ることになるが、衣服がメッセージ性を秘めている以上、このような「あいまい」さは常に潜んでいることも忘れてはならない。

ちょうどこの項目を読んでいると、黒いスーツを着た男性が電車の私の前に立った。白のシャツに黒のネクタイを締めていたことに加えて、黒のスーツはシワ1つなかったので、僕はひと目みて「あぁ、(久々にスーツを出して、これから)お葬儀だろうな」と察した。しかし、ネクタイにはなぜか凹凸がある。綾織なのだ。葬儀に織りという“飾り”は通常用いない。疑問符が1つついたところで、いつもの癖でディテールを観察した。

まず、ベルト幅4cmはあろうかというほどの太い、カジュアルなベルト。

対して、ズボン裾はシングルであり、フォーマルさはある。

次に、ネクタイにディンプル(結び目の凹凸)はつけておらず、フォーマルな印象だ。

対して、カバンは、ナイロンの斜めがけのスポーティーなもの。さらに、靴はカジュアルな外羽根でアイレット(紐の穴)は3つとカジュアル。

僕の頭の中は、疑問符だらけとなってしまった。

僕が当初抱いた印象のように、彼が葬儀に行くならば、スーツとシャツの選択はいい。ただ、黒のタイは織りがないシンプルなものを選び、ベルト幅3cm、カバンは黒革でシックなもの、靴は内羽根のストレートチップやプレーントゥなどできる限り飾りがないものを選ばなければならない。

ただ、もし、通常の通勤の装いというのであれば、そもそも黒のスーツをダークグレーかダークネイビーに変えなくてはならない。もし、彼がこのままのスーツでお客さんや同僚に会ったのであれば、そのうちの何割かは僕と同じような印象を抱くに違いない。

さて、服装における「あいまいさ」の例を紹介したのだが、このような例は決して少なくない。20代前半の人が春頃にしている服装であれば、勘違いもせずに「あぁ通勤中だろうな。これから学び、夏か冬のボーナスでスーツを新調するときに、黒は選んでほしくないな」と寛容に見ていられる。ただ、明らかに50を過ぎたこの男性は、髪もきちんと整髪していたことからも、判断に時間を要してしまった。

冷静に彼の服装を観察し直して下した結論は、「清潔感がある、しかし、スーツに対する教養がない通勤中の男性」だ。朝の通勤ラッシュではなくても、初対面の方に「どちらに行かれますか」というような質問はできないので、同じシチュエーションが再び訪れたとしても、確認の取りようはないが。

「あいまい」な文章の場合もそうだが、やはり、作り手が意味をシンプルに打ち出す努力をするべきだと考えている。つまり、スーツであれば、それを着る人がどのようなメッセージを発するかに対して吟味する必要があるし、無意識で行っているならば、それはそれで罪深い。無意識で誤解を生むような物書は、やはり社会にとっては害であることと同じように。

このようにスーツや着るものを考えると、そう簡単に買い物はできないし、まして、最新のモノについて欲しいと思うことも、お店に行って「どっちがかっこいいですか」という質問をすることも一切なくなるだろう。

僕たちがしなければならないことは、自分の伝えたいメッセージを明確に一言に集約することであって、モノの知識がないならば、それを販売員に伝えることである。つまり、僕の場合であれば、「どちらが、周囲に信頼感を持ってもらえるでしょうか?」となる。

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