友人や知り合いの成功は喜ばしい。それは嫉妬や妬みが生じにくい。ただ、僭越ながら知り合いの一人として、彼に助言できるならば「人前に立つにふさわしい装いをして欲しい」ということ。

 

知り合いの一人が情報教材のコミュニティに入っているようで、ウェブの中で、スーツを着用し成果報告をしていた(コミュニティにとっては、販促の一環)。

 

黒のスーツに、白のワイシャツ、襟はジャケットに収まらず、ストライプのタイ。一言言ってくれればパーフェクトにコーディネートしたのに。(と言っても、もともと彼は服装には頓着がないだろうし、彼のValueがスーツ姿にあるわけではない。)

 

さて、遅いけれど、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?(山口周2017 光文社新書)』を読み終えた(途中で、「サピエンス全史」に浮気をしていたが)。著者は、「美意識」を「スタイル」もしくは、「エスプリ」とも換言している(150−151p)。なぜ、美意識(スタイルやエスプリ)を必要とするか?それは、つまり、目の前の現象を「相対化できる知性」だから。そうして、相対化することで、現在のシステムを批判的に見られるから。

 

いつも以上に上から目線だけれど、件の彼のスーツ姿を僕なりに解釈するならば、「無自覚に形だけを繕った子ども」のよう。その口から、デジタルマーケティングの用語がつらつらと並び立てられ、そして、いくら稼いだという具体的な話題に至る。(僕の数十倍を稼いでいるということを抜きにしても)とてもではないが品がいいとも感じられないし、少なくとも僕の応援したいという気持ちは10分の1以下に減少(ま、僕自体は顧客じゃないので、彼のビジネスには影響しないだろう)。

 

じゃ、こうして知り合いの成功をチクチク揶揄する僕は品の良いかといえば、無粋に違いない。

 

 

ただ、一つだけ望みを賭けて、こうして文字にした。

 

彼が、大人としての(スタイルのある)スーツ姿で、人前に立つ日が来ればいいなと。

 

無粋ついでに僕の美意識から導き出される模範解答を(偉そうに)述べておこう。

 

軽やかな色のジャケット(今から暑くなるしね)に、ボタンダウンのオックスフォードのシャツなんかがいいのでは?タイは無理にする必要はないと思う。彼の爽やかなキャラクターは活かしたい。シャツは白でいいと思うけれど、できるならばちゃんと貝ボタンをあしらったアイテムがいいだろう。ズボンは見えなかったけれど、ライトグレーのズボンでいいだろうし、ベルトはメッシュベルトなんかでもいいかもしれない。靴とベルトの色を揃えればそれらのアイテムは黒でも茶でも。つまり、一言で言えば、変に繕うのではなく、ごくごく当たり前のスマートカジュアルを体現すれば、収まる。

 

反対にこういう格好は僕にはできない。

それは、僕が彼ほど爽やかではないから。読者の方ならば、ここの文面から十分に推測できただろう。

では、ご参考となりますように。

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