『教養としてのスーツ』(二見書房)を広く知っていただきたいということで、無料試し読みができるようにします。具体的にはこのブログでPDFファイルをダウンロードできるようにします。リンクは自由に使ってもらって構いません。より多くの人に伝わるのであれば、書き手として、それは望外の喜びです。

第2回目は、コラム2「スーツと金融商品」。

コラム2(←ここをクリックすると、PDFがダウンロードできます。)

(前回のコラム5 「お手入れを継続させる方法」はこちら)

 

書籍には5つコラムを掲載しているけれど、等身大で表現できたと感じている一つがこのコラム2。詳しくは、直接読んでいただければと思うけれど、いつものように長く追記しておきたい。コラムとの矛盾もたくさんありますが。。。すみません。

 

本を書き始める段階でも、また書き終わったあとでも変わらないことがある。

スーツをはじめとする外見(身だしなみ)と所得(経済的な成功)を主題として並列(同列)にしたくなかったということ。理由は3つ。

 

まず、そもそも説得力がない、書く資格がないということ。

仮にスーツについて詳しく、ある程度外見にこだわっている人が経済的にも成功しているというような俗説が正しいなら、僕の通帳にはもう少し数字が並んでいてもいいと思っている。もっとも、スーツの知識や外見に自信があるわけでもないので、身の丈、分相応な外見と収入なのだろうと個人的には納得だけれど。短絡的に「スーツを学ぶから経済的な成功を約束される」という図式には、確かに商業的なキャッチーさバッチリあるんだけれど、いちサラリーマンからすれば少し違和感がある。スーツをはじめとする身だしなみという部分はマナー的な側面もあるし、自己満足的な趣味的な側面もある。そもそも業務として見なすか、みなさないかも価値観によって大きく異なる。経済的な成功が基盤にあるから、身だしなみにも配慮できるという現実も横たわっている。いつものように小難しく考えて表現しようとしても「身だしなみ=経済的な成功」にはならなかったし、それをフックにして僕が語るのは嘘でしかなかった。自分自身の現状もだし、周囲にいる人達を見てきた経験としても。でも、身だしなみに配慮できる人は、すべからく周囲の小さな部分に気がつける人であるというような共通項は感じている。やはり、靴磨きもスーツへのブラッシングもプレスも、自分がするからこそ、周囲のその努力にも気がつけるわけで、「外注」していたのではなかなか気が付きにくいから。

 

次に、「装うという知的ゲーム」を楽しめる人が増えたらいいなと感じていたから、経済的な成功とは結びつけたくなかったのだ。純粋な「ゲーム」のプレイヤーはリターンを求めない。「儲けてやるぞ」なんて考えてしている人はあまりいないと思うのだ。「面白い」「楽しい」という感覚があるからこそ、それを続けるしのめり込める。純粋に童心に帰れる。服でいえば、「あ、かっこいい」「いいな」という感覚。ただ、やはり成熟したオトナである以上「なんでもやって良い!」ってことにはならないわけで、最低限の節度は必要とする。本では、それを示したつもりだ。これを底辺として、日々、現実世界、SNSの世界、TVの中、いろいろな人の着こなしを見つつ、自分らしさを見つめ直しつつ、真の意味での「個性」が表現できる人が増えればいいなと。

ひどく個人的な価値観の話だけれど、ホイジンガのいうホモ・ルーデンス(遊ぶ人)の考えに共感している。拝借すると「遊びは文化に先行しており、人類が育んだあらゆる文化はすべて遊びの中から生まれた。つまり、遊びこそが人間活動の本質である」に共感する。

もっとも、ビジネスシーンにおいて節制し信頼を得るために一定の考慮をしつつ装うべきだという主張は変わらないが、そういった「仕事の準備」も含めて「知的ゲーム」という「遊び」をする人や楽しめる人が増えたらいいなと心から思っている。仕事の緊張の中で、そういった純粋な楽しさがほんの少しあることは、とても豊かだと思うしね。

 

最後に、洗練、美しさ、真摯さ、英語だとIntegrityとかになるのかな、そういった仕事にとって、人にとって大切なことって「持つモノだけ」ではないと思っているから、良いスーツに買い換えれば、リッチになるなんて言いたくはなかったのだ。むしろ、手入れやモノに向かう姿勢、自分ができることを愚直にすること、そういったことに僕は惹かれる(価値観の問題だが)。個人的な話だけれど、途上国を支援する仕事をしていて、接するのは相手国のエリートばかりではない。2017年は南アのプロジェクトに関わっていて、そこで2週間一緒に行動した運転手イノスとの会話が忘れられない。

イノスは、2人の子供を持つドライバーさん。経済的に恵まれた南アといえども、所得が高い仕事とは言えない。だから、それほど高価な靴でもないと想像できた。事実、革は少しひび割れている部分もあった。ただ、一緒に行動をともにした2週間、彼の靴は常に磨かれていた。普通の黒の外羽根、プレーントゥ。最初はただの偶然だと思っていたけれど最後の日でもその美しさは変わらなかった。だから、最終日の車を降りるときに、質問せずにはいられなかった。「靴は毎日磨いているの?」と。彼は笑顔で「それは、お客さんに接する上で僕のできる最低限度のマナーだよ」とちょっと照れくさそうに、はにかみながら、答えてくれた。彼が高所得者になることはたぶん、ない。一流ブランドの靴を持つこともないかもしれない。ただ、彼のその靴は、これまで見た靴の中で一番美しかったのだ。そういう靴を、モノにあふれた日本で“観る”ことは少ない。

 

プロから見れば十分ではない記述もあるだろう。ただ、この本は他の本と比較して、手入れに割いているページ数は群を抜いているはず。それは、イノスと彼の靴の影響が大きい。

 

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