【エッセイ】身の丈とかっこよさと

ZORNの最新アルバム「LOVE」に収録されている「My Love」という妻に向けたと思われるラップで次のようなバース(一節)がある。

 

「子どもに良いもの着させて、自分はホツれた服着てる。(中略)飾らずいつも自然体。それはスタイリストにも着せられない。(中略)どんな女優よりもぶっちぎり」

 

−−−

やはりこうして本やブログを書くくらいだから、僕はスーツに思い入れが強いのだろう。できる限りにおいて、最善を尽くしたいという想いもある。こだわりたいし、高級なブランドの着心地を所有したいという欲もある。

Kitonがどんな着心地で、普段のオフィスではどんな光沢なんだろうか。気にならないわけがない。セッテピエゲのタイを締めてイタリアンにも、ドレイクスのソリッドタイを締めてブリティッシュにも振ってみたい。マッケイのBerlutiを店員がいない自室で好きなだけ撫でてみたいし、さらっと「週末にJOHN LOBBを修理出さないと」なんて言ってもみたい(なんだか、成金の日常にしか聞こえない字面だけれど。)

高級ブランドを所有するだけではなく、信頼できるフィッターや職人さんのお話や意見を伺いながら、全身を誂え(オーダー)てみたいという欲もある。

 

 

ただ、じゃ、自分はそれに値する身の丈なのか?(TPO−周囲の視点を考えりゃ、ベストなコーディネートは簡単に出るという議論にはせず、ちょっと遠回りをする)

 

 

僕の考える身の丈というのは、2つある。

 

1つは、言うまでもなく、経済的な身の丈。

仕事を“目的“として生きていようが、”手段“として生きていようが、等しく、誰でも”年収(PL)“と”資産(BS)“という数字で資本主義社会でのプレゼンスを表すことができる。使えるキャッシュフローは、それらの数字に比例する。ブランドそれ自体にせよ、製品の品質にせよ、価値あるものは高い。高い製品すべてに価値があるわけではないし、価値付けは各々違うから必ずしも、万人にとって金額が高い=Good/Reasonable というわけではないのだけれど。ただ、手元の資金がないならば、そもそも選択肢として挙げることはできない。

一生モノ、一張羅、なにかしらの理由をつけて手に入れることができないわけではない。スーツはさておき、高級靴は平均年収だとしても手に届くし、手入れによってその耐用期間は確実に伸びる。また、何か1つのモノを手に入れるために要するプロセス、努力や辛抱は、否定されるものでもない。むしろ、そうして手に入れた製品は、実際の価格以上にその人にとっては特別で宝物になる可能性だってある。

ただ、無理に無理を重ねていき、身の丈を超えて(具体的に言えば、生活に支障をきたすほどの借り入れをして)所有することに価値はないだろう。メルカリやヤフオクがあるといっても、一度所有し使用したアパレル製品を流動資産として扱うには、ちょっと心許ない。

ハイリスクな投資で勝ち続けていない限り、業界と職種である程度の年収は、今の世の中Googleが教えてくれるのだから。靴だけとか時計だけとかならば、そこに何かしらの物語を感じるし、聞いてみたくもなるのだけれど。

経済的な成功に比例して、所有する製品も変わっていく。これが普通だと思う。そう、ロールプレイングゲームのように。仮にストーリーの最初の段階で最強の武器を手にしているならば、(周囲の評価はさておき)自分自身も楽しいものでもないだろう。簡単に敵を退治できてしまう。自分の本来持つ力(身の丈)ではなく、武器(所有物)だけで勝ててしまうのだから。

 

もう1つの身の丈は、「知識(+感覚)」。

別に知識がなくても、ご褒美として、ステータスとして所有する製品もある。車なんかがそうなのかな。ただ、「仕事に用いる」スーツや靴、というのはちょっとそれとは違うと思っていて。

 

職人ではないけれど、身近な技術者という意味で美容院の方を例として考えてみたい。彼ら・彼女たちは、ハサミ1つ、ドライヤー、使う整髪料、頭皮のケアの方法、いずれにも知識を持った上で、自分の癖や習慣、求められるパフォーマンス、そういった要素を加味して道具を選んでいる(って、少なくとも僕の通っている美容院の方はそうだった。直接聞いたから)。

どれだけ顔面偏差値が高くて、トレンドのファッションに身を包んだヘアスタイリストでも、道具に何も知識も関心もない人だったら、僕はちょっと依頼を躊躇う。やっぱり、プロの道具たちにはそれぞれに理由がほしいし、その理由はサービスクオリティからバックキャストで導き出したものであってほしい。機能と美観。どっちもひっくるめて、スタイルと言い換えもできると思うけれど、それが必要だと思うし、理由は多ければ多いほどいいと思える。

また、仮に機能だけとか美観だけ、どちらかに振り切れているというのもその人のスタイルと言えるので個人的には好き。ただ、この場合も機能なら機能だけで、あれこれ選択理由が溢れ出すはず。(きっと紳士的な人は、実名が分かる状態では、その理由を詳細に教えてはくれない。)

理由があるというのは、1.製品それ自体を知っていることもだけれど、2.実際には自分自身についても、そして3.製品と自分の相性も“経験”しておかなくては生まれない。これらはすべてが言語化できるとも考えていなくて、その人だけが感じることのできる“感覚”というものもあるはずだ。

 

大切なのは、この“知識(感覚)”には、時間を必要とする点。

時間をかけなくては、身の丈は伸びない。逆に意識して時間を過ごすのであれば、育むことができる。

冗長になったけれど、ここまでを一度まとめるとこうなる。

 

経済的な身の丈と知識としての身の丈、この2つを伸ばすことで所有することと着こなすことの範囲が広がる。身につけている製品が、この2つの身の丈を超えていると、“なんだか変(もしくは、嫌悪感)”になるに違いない。

 

“かっこいいな”と僕らが心に抱くには、少なくともこの2つの身の丈とその姿がマッチ(自然体)していることが必須条件。だから、この文脈で、経済的な成功をしつつ、造形が深く、ニーズや狙いもその人固有であれば、最高にかっこいい。オフィスではそんな人に巡り会えないが、SNSではそう感じられる人もいる。

 

で、「自分」の「外見」にだけにフォーカスした文章を長く読んでもらったのだが、議論の前提を崩して、このエッセイを終えるつもりです。これまでの2,500文字が台無し。ごめんなさい。

 

 

一番かっこいいのは、やっぱり、誰かのために生きている姿。

 

「洗濯物干すのもHipHop」とキックし、「誰かの幸を願えたら、きっともうコレ以上はねぇんだな」(アルバム『The Downtown』収録の「My life」:Youtubeリンクあり)ってパンチラインを最後に入れるZORNって。

 

 

彼のスーツ姿は当然見たことありません。

 

 

—————— 蛇足 −−−−−

一方で、別にそんな意識高くして、身の丈伸ばそうなんて考えなくてもいいじゃないの?という議論も生まれる。長くなっちゃっているので、またの機会にと思うけれど、端的に。

お金は最近では「信頼」だったり「評価」だったり「拍手の数」というように例えられるように、「支持」を数字で表してくれる。「好き」ならば、やはりその業界にお金を投じることで「支持」を表明したい。また、必要・好きなメーカー、創り手があれば、そこに投じずに、自分の「必要・好き」を継続してほしいと願うのは、エゴ。(Twitterを見てて、気が付かされたこと)

と、言うことで。

自分自身が成長し、拍手を多くもらい稼ぐことは、確かに自分自身の所有物をレベルアップさせたいという利己的な理由もある。けど、可処分所得を増やすことは、同時に「必要・好き」を「健全に」今後も維持させるための潤滑油になる。

 

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