「あ、このペン書きやすい」そんな親友の言葉がきっかけだった。12月上旬の1週間地元の山口に戻っていて、いつものように小学生のころからの親友の家に泊まったときのこと。

 

たまたま書類仕事もあったからペンケースも持って帰っていて、プロダクト好きな彼はペンに興味を示した。僕も今年から使い始めた万年筆を得意気に自慢したりなんかして。

J-Popも、バッシュも、香水や、眉毛を整えること、タバコやBMXなんかも、新しいプロダクトやトレンドは常に彼が僕に教えてくれた。僕の名誉のためにあえて記載しておくけれど、本を読むこと、ダンスを始めたこと、Macを使うことくらいは僕のほうが早かったかもしれない。小学校3年生から続く関係は、もう30年近くなる。彼は覚えていないだろうけれど、20のときに彼が東京にちょっと遊びに行っただけなのに、バーバリーのハイネックのニット(たぶん、2,3万するんじゃないかな?少なくとも)をお土産に買って帰ってくれたこと。新卒のお祝いに紺のタイをくれたこと。彼からはいつも与えてもらってばかりだった。大人になってもそれは変わらない。たいていの場合、一次会で僕は支払いを許されたことはない。彼は、俺からもらったことも沢山あるなんて言うけれど、僕は彼になにかをプレゼントした記憶がない。

もちろん経済的に厳しいなんてありがちな言い訳ができるけれど、それは彼も同じだ。

 

彼と僕の違いは「周囲を優先できるかどうか」という人間としての成熟度の違いでしかない。

 

彼は英語を話せるわけでも、DJやデザインができるわけでもない。起業しているわけでもないし、将来有望なストックオプションを提供する企業に勤めているわけではない。ただ、僕がこれまで接した中の同世代で、もっとも人として成熟している。身の丈を超えない、自分を客観視した上で選ぶ服たちは、決して派手ではないけれど、彼をより高めている。生まれながらにセンスのある人間というのは彼のような人を言う。色彩やサイズ感というのもあるけれど、彼のセンスはそのような部分に留まっていない。器量というのかもしれない。

 

僕の新しい本が2冊家に置いてあって、それが僕を出迎えてくれた。「なんで2冊?」という質問に対して、「保存用。」と答えるさり気なさは、「1冊でも多く売りたい」なんて思う僕の決してキレイではない欲を受け止めてくれつつも、友としての優しさと気遣いに溢れた言動だった。

 

一ついいことを思いついたんだ。

 

 

彼と彼のパートナーに、僕とおそろいのペンを送りつけるというね。いいでしょ。書きやすいと彼が評価したペンは、油性で0.5mm、リフィルどこでも買えるものだ。いつだって使えるし、彼自身でも、彼のお客さんに渡して使ってもらっても、ある程度さまになるペンだろう。幸いにして、カラーバリエーションもある。女性用も男性用も。なんとなく、彼と彼女の好きな色を聞いておいてよかった。彼の子どもは、最近、絵本を読んでもらっているらしい。「本」は僕がプレゼントせずに誰がプレゼントするんだ?なんて、いつもの出たがり。

 

O.ヘンリーの短編「賢者の贈り物」。これがまず、1冊目。

来年は決まっている。オスカー・ワイルドの「幸福な王子」。

 

その次も決まっているんだ。少しだけ彼の成熟に近づけるかな。

 

 

そうして、37年近く経って気がつく。物語ですら与えてもらうだけではない、自分で創れるのだと。

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