考えるために、書くのか。

書くために、考えるのか。

なんだかポエティックな書き出しになってしまったけれど、最近感じる変化について。

 

多くのビジネス書が言うように、考えを進めるために、紙に書き出すという行為は確かに効果がある。何色ボールペン術とか、マインドマップとか、東大生がすすめるノート術的な書籍の多さと、それに少なからず感化されてしまう気持ちの揺れとが、その証拠だろう。

僕たちは、考えるために書く。

 

初めて万年筆を使い始めて数ヶ月。にじみ、急なインク切れ、乾きの頃合い、ボールペンとの違いにもようやく慣れてきた。「ヌルヌル」書ける、というような万年筆のよくある紹介文を、自分の体感として感じられるようになってくる。

文具の整理をしたというプロセスに伴って、次第に気持ちが変わっていたことに気がついた。

 

「書くために。(考えよう)」

 

そう、積極的に考えたいのではなく、ただ、書きたいのだ。ただ、万年筆を使いたいのだ。ただ、そのペン先からインクが出ていく様子を観たいのだ。ただ、それだけ。カタルシスと言えば言い過ぎだろう。でも、確かに感じるなにか。

ひたすら、自分の名前を日本語で書き、ローマ字で書くのはすぐに飽きがくる。字の本格的な練習も、少しハードルが高い。そうなのであれば、書くべきことを、考えようというレトリックが起きる。

書くために考える。

 

これを機にインクボトルを買った。思い返せば、出会う重役数名の机の上に鎮座するこのボトル。最初は何コレ?だったけれど。15年以上前から気になっていたアイテム。ボトルそれ自体が女性のヒールのように美しくいて、ペーパーウェイトとしての活用もできるため実用性もある。2,500円で手に入れられる夢だったら高くない(と思うことにする)。何より怠惰な自分が考えようとするのだから。これも効果的だろう。もう沼の中。

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