出版社の担当者のおかげで、ようやく2作目について完成が見えてきた。昨年の3月に3週間であまり寝ないままに10万字近くスーツについて書き綴った。あれから、1年半以上の月日が流れた。

当時、出張続きだったから事前に詳細なマーケティングをしたわけではなかった。出版社に人脈があったわけでもない。スーツについてなにかを言えるような特筆すべきキャリアがあったわけでもない。ただ、書きたかったから書いただけ。

数少ない僕の武器を言えば、質が高いかどうかは別として、一定量を書けることは知っていたこと。また、スーツの本はどれもしっくり来ず、ニーズに応えてくれてはいなかったという感覚。そして、そういったものがないならば、創れるのではないかという淡い期待。

だから、10万字を書き終えて最初にしたことは、友人への報告だった。Kindleでなら時間がなくても、コネがなくても、キャリアがなくても出版できるから。単純な理由だ。でも、Kindleで出す前に、ダメもとで出版社に企画書を送ることを思いついた。衝動。

Googleで調べればすぐに分かることだけれど、そもそも企画書を受け付けてくれる出版社は限りなくすくない。公募も見当たらない。あったとしても、それは自費出版が前提であることが多い。仮に企画書の担当者の手元に届いたとしても、封を開けてもらえるかもわからない。ゴミ箱行きという話はWebでも頻繁に見る。封を開けてもらったとしても読んでもらえる保証もない。そして、読んでもらって、本にできるかもしれないという声をもらう可能性はゼロに近いだろう。でも、起こるらしい。書き終えてから、1週間も経たない出来事だった。奇跡。

 

10万字書けたこと。スーツが人よりも好きなこと。企画書を出したこと。出版できること。周囲の人たちは、何を以て「すごい」というのかは、よく分かっていない。嫌味に聞こえるように書いているけれど、本当にわからないのだ。なぜなら、僕の視点で言えば、あまりに一瞬の出来事で「すごさ」は皆無。それよりもすごいと感じるのは、無名のサラリーマンが送ってきた企画書を、実際に本にしようとする担当者なのだから。

 

書くことが上手くなったかどうかはわからない。ただ、経験から1つだけ言えることが増えた。形にすること。そして、それを発信すること。ダメもとで。そうしたら、奇跡は起きるかもしれないし、奇跡は起きないかもしれない。いや、正確に言うならば、奇跡を起こしてもらえるかもしれない。いつだって、僕ではない誰かが、僕を助けてくれている。

 

先日、大学時代の友人と飲んだ。辛辣な言葉は、友としての愛の裏返しと受け止めてはいる。

カッコつけ。モテることが原動力。他人に興味がない。臆病。人付き合いをしない。自分にしか関心がない。上から目線。偉そう。その割に中身がない。当の本人が否定できないのだから、出てくる僕に対する評価は、たぶん、正しい。この自嘲的なパラグラフに僕なりにもう少し加筆するなら、好感度もないし、好青年でもない。

 

おっさんに差し掛かって、カッコつけなのも無粋なのは知っている。尊敬する人からの言葉を引用させてもらうが、「カッコつけずに、かっこよくないとね」が理想だろう。モテるために、何かを犠牲にしようとするほどに寛容でもない。臆病であるから、活字が友達だ。孤独は創造の原資とも思う。俯瞰するから拡声器を使ってでも伝えたい想いを抱く。考えを万人が反感を持つことなく伝える術があるのか、あったとしてもそこまでの成熟が来るのかはわからない。

 

担当者は僕の文章の感想を笑いながら「本当に好感度ないよね」と言った。それが、僕には嬉しかった。

 

 

人に関心を持たない人間が生きる意味を問われたとき、彼は答えに詰まる。

「他人・周囲のために」生きることが美徳とされるコミュニティにおいて、彼は、彼のためだけに生きたいと願っているのだ。気の向くことにだけに集中したい。彼の可能性を捨てられない。諦めの悪いやつなのだ。ただ、彼は何かとつながるために、何か表現しようとするかもしれない。

 

でも、それは、拾ってもらえることもある。

 

 

担当者はこうも言っていたな。「回りくどい」。

たった10文字を伝えるのに、1,700字を使わないといけないのだ。友人や担当者の指摘は、正しい。

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