企画がすべて通過するわけじゃないし、98%以上は応募書類がそのままキレイに戻ってくる。そんな現実をおおっぴらにするのも悪くないかなとも感じる(過去の本をご覧いただいた人は、内容としてはオーバーラップするけれど)。友人のエッセイを少し見て、赤裸々なアルバイト生活だったり、苦しい日々が綴られていて、感化されたのもあるけれど。

ずいぶん前から12回の2,000字/回のコラムを考えていて、そのサンプル(初回)として送付した文章。 研修生とのビリヤードも負けるし、他の提案も断られるし、最近連敗中。山あり谷ありだと理解するものの、できりゃ右肩上がりがいいよね。

 

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国際協力事業に携わるものであれば、第7代国際連合事務総長のコフィー・アナンの名を知らない人はいないはずだ。ただ、彼の多大な功績と影響力を知っていたとしても、彼にはウェルドレッサー(着こなし上手)という評価もあったのだと知る人は多くない。とりわけ、ネクタイを結ぶときにできる彼の創るディンプル(くぼみ)には服飾専門家からも高い評価があった。その証拠に、彼のスーツの着こなしに言及した多くの文献が存在している。

 

「外見よりは、中身が大切。だから、中身を磨くべきだ。」

 

あなたはこの意見に賛成するだろうか。僕は、全面的に賛成している。

大抵の場合、国際協力に関わる人は、各人が高い専門性を有するだけではなく、母語でなくとも論理的で建設的な意見を発するだけの高い語学力とコミュニケーション能力、そして、過酷な環境下でも長期間高いパフォーマンスを示すための自己管理能力を持ち、異国の地でも能動的に自らの環境を整えていくことができる。それだけではなく、何より「途上国を支援し、役に立ちたい」という熱い想いも内に秘めている。プロジェクトによって関係者が変わる中で、「次はどんな人と一緒に仕事ができるのだろうか」とワクワクした想いを抱く人は、僕だけではないはずだ。どういった想いから国際協力を志したのか。どんな仕事が印象深かったのか。今どういった課題があって、どう立ち向かっているのか。どのように中身を磨き、キャリアを積み重ねてきて、今のプロジェクトに関わっているのか。日本では、熱すぎて聞いていると恥ずかしくなるような話も、異国で仕事をともにすれば何時間でも聴き入っていられる。自分もそうなりたい、近づきたい、より良い仕事をしたいと想いを改める。そして、こう素直に感じる。この人たちが日本の代表として海外に赴くのは、間違っていないし、誇らしいことである、と。

 

でも、だからこそ僕は想う。「そのスーツ姿はちょっとマズいんじゃないかな・・・」

 

ルールを完全に無視した派手すぎるシャツやネクタイ。メンテナンスが行き届いていない靴や革小物。自己中心的でTPOや周囲に配慮の感じられない着こなし。そのいずれもが、大人としての及第点に遠く及ばない。

でも、僕たちは雑誌のモデルでもなければ、アナンのようにメディアに出るわけでもない。なにも服装やスーツで「加点」される必要はない。外見なんて取るに足らない些細なことで、大切なのはその人柄や現場で出す成果なのだ。そうして、この現実を見ないようにしていた。しかし、アフリカ出張の片道24時間は、次のような再考を促した。

 

せっかく積み上げた成果や結果が、たかが服装、たかがスーツで「減点」されているとするならば・・・

初対面で「減点」され、マイナス評価から関係性を高めていかないとするならば・・・

 

個人であれば「減点したい人にはそうさせておけばいい」と言う権利がある。たかが服装。各人の自由だ。だが、所属する組織、関係する団体のみならず、日本という国も代表し、あなたは現地に赴くのであれば・・・。

 

あなたはリスクを嫌うに違いない。それも自分のちょっとした心がけで避けることができるリスクならなおさらだろう。「減点」はリスクとして考えられないだろうか。実は、このリスクは簡単にオフにできる。スーツ姿を整えることに、周囲をエンパワメントしつつ理解を得るというような労力も、資金調達に頭を悩ませるほどに大きな投資も、外国語を習得したときのような時間も必要ないからだ。

 

これから12回続くこのコラムを読み、ほんの少しだけ着こなしに気をつけるだけで、1年後には世界中どこに出ても恥ずかしくないスーツ姿になる。たったそれだけ。今のキャリアや関わる仕事を得るために要した努力とは比較にならないほどの、拍子抜けするほどの労力だ。

 

さて、最後に一つだけひどく偏った考えを付け加えておきたい。それは、「自分のために服を装うのではない」ということだ。この前提からはずれた服装は、自己中心的であまりに成熟からは程遠いと考えている。何が言いたいか?

 

自分のために装うという態度は、あなたの「中身」には不釣り合いだということだ。

 

コフィー・アナンは常に周囲の求める国際連合事務総長を演出したはずだし、少なくともそのように自制はしていたはずだ。こうできることを「成熟」や「洗練」と人から表現され、優れた実績と相まって、彼自身のみならず彼に関わる人・組織・団体に対する評価も高まり、後世に語り継がれるのかもしれない。

 

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