“コト”消費はプライスレスで、“モノ”消費はそれほどに価値を持たないというような最近の傾向は、物欲まみれの僕にはいかんせん納得し難いことだから、“モノ消費礼賛”をしてみよう。
初めて高価なペンを手にしたのは、23歳くらいだったか。価格を出すのは無粋だけれど、3万円程度(23歳という若さと当時の価格のインパクトを伝えたく)。ルイ・ヴィトンの油性ボールペン。
何度か壊れて修理にも出したけど、結局、フランス本国でも修理できませんってほどに壊してしまった。でも、誰だって初めてって形容できるアイテムは、捨てるに捨てられない。僕もその一人。なぜだろうか。
大切な人(大切な人じゃないのに、高価なモノをプレゼントすることは稀だろうけれど)からの贈りモノほどに価値を持つものを知らない。それは、その人に出会ってからのプレゼントをもらうまでの想いと、これからの未来に対する期待と、どちらをも含意する。もっとも、このことは自分が選んだ大切なモノを手に入れるときとも同じでもあるけれど。これに加えて、「2人の間だけ」で共有されるという“秘密”が生まれることに価値があると考えている。
“秘密”。それは、例えば、僕が死んだとしても、プレゼントを与えてくれた人は覚えていてくれる。そして、瞬間的にあの時間に戻れるはず。
“秘密”を手元に維持することに、数万円は安くはないかもしれないが、高いわけでもないだろう。多少、イラやらしいブランド選択や若気の至りも含んだアイテムだとしても。少なくとも、温泉に行くとか、観光するとか、観光地に行くとか、キャンプするとかそういった“コト”消費じゃ買えない。
モンブラン、LAMY、ペリカン、カヴェコ、カランダッシュ、ロットリング、ファーバーカステル、クロス、デュポンはたまた日本メーカーか。
水性しか持っていないから色々と油性ペンを迷っていたけれども、どうやら同じものの書い直しになりそうだ。好きなTシャツや、お気に入りのシャツというようなコモディティ以外の華奢品で同じアイテムを2つ持つことが人生で何度あるだろうか。
壊れたボールペン。僕が唯一、使えないのに手元に残しているアイテム。
PS 13年目の靴も使えないのに取っていたものだけれど、今復活させたからってことで。
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