【エッセイ】自分だけが知っていること

持ち物が人を表すのであれば、僕はあまりに派手好きになる。事実かもしれない。いや、事実だろう。そうは思いたくはないけれど。

 

スーツの似合う体にしたいとか、健康的な毎日にしたいとか、ちょっとした趣味の時間を創りたいとか、そういう金はかからないけれど、気持ち的にハードルがあって、時間をほんの少し必要とすることを諦めてきた。正確に言うならば、言い訳をして後回しにしてきた。

 

ちょっとハードな仕事が一段落したら。これを書き終えたら。明日早起きできたら。英語の試験が終わったら。この本を読み終えたら。もう一本映画を見たら。言い訳なら、間違いなくスペシャリストだ。

 

でも、よく考えると「先にやってはだめ」という法律があるわけでもない。

筋トレをしてスーツに映える体づくりをするのも、早寝早起きして、睡眠を保つのも、趣味のために時間を創るのも、別にすりゃいい。確かに「ゾーンに入る時間」ってのも大切だから、大きな変化を求めるわけじゃない。でも、24時間では足らないことに気がつく。当たり前か。だから、みんな優先順位ってのを決めるんだね。

 

体だけは鍛えたい。ズボンからこぼれ落ちるお腹は、ジャケットのフロントボタンを留めないでいると悲惨だと、毎日5回くらいは感じているから。だから、筋トレを。

 

メンタル面の話になるけれど、久々に「充実」ってのを感じた。筋肉痛で、めちゃくちゃ体痛いから余計に。あ、生きてるなって。当然ながら、しっかり眠れるし、時間に限りがあることを認識するから、一個ずつのことに集中もする。そして、なぜだかたった2日の筋トレで「めちゃくちゃできるビジネスマンやん?俺。」っていう勘違いを内面で引き起こし、充実やな、これが。なんて思い始める。こういう自意識過剰な面は、程々にしないといけないけれどね。

 

 

持ち物が人を表す。

ただ、そのモノ自体やカラーという表面的な部分もだけれど、使われ方や劣化の仕方、素材や、機能と造形美のバランスなんかにも気がつくようにしたい。

スノッブな言い方をすれば、それがQuality of Lifeだろうから。

外見だけじゃ見えない。自分が一番わかっていて、他の人の目からはすぐには見えないし、わからない。反対に、他の人のそういう見えない部分に気がつくためには、やっぱり、自分自身が日頃から手入れしたり、関心がないと気が付けないとも思う。

じゃ、色を落として見るとどうか。なんとなく、違う風に見えてくるでしょ?

 

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