【エッセイ】”装う”を準備する

別にサッカーオタクではないけれど、本田圭佑選手の名言をふと思い返すことがあって。「勝負を決めるのは準備」という言葉。

 

20代から特にスーツだけに関心が強かったわけではない。ただ、かっこよく言うけれど、仕事ができるかできないか、というのは準備のレベルによると感じていた(本田選手のように言語としては認識できていなかったけれど)。

仕事における準備というのは、分解すると目的や目標を見据えるマクロ的なことから、今から取り組む小タスクの位置づけを把握することに始まって、どういうシナリオが考えられるか、どういうリスクが潜んでいるか、そのリスクを限りなく0にするにはどういう手を打つべきか。その考えの広さと深さは、経験や助言でもってより広く、深くなる。もちろん、リソースの限界を忘れてはならない。

 

もう少し具体的に言うと、会議の準備を任されたとすれば、その議題、参加者や最低限結論を出すべき内容の確認。どういう反論があるのか、どういう文脈、背景があるのか、情報を整理しつつ、漏れとダブリのないように精査していく。質問もあるかもしれないから、その対応策も考える。事前にネゴはできるだけしておく。予定調和ではないセッション的なクリエイティビティを否定するわけではないけれども、土台がしっかりしていればいるほどにクリエイティビティは“乗る”と考える。何も準備のないセッションは成立しないし、したとしてもすぐに崩れる。

少しずつ“準備”を言葉にして、認識して、日々の行動を通じて繰り返していく中で少しずつ、本当に少しずつ質が上がっていく実感を20代に持てた。それを広げていった先に、スーツがあった。

 

“装う”を準備するということ。

誰と会うのか、どういう場所なのか、自分の役割はなにか、そうして考えを広げて深めて行く。ただ、やはりリソース(僕の場合は特にお金と知識だったけれど)の限界がつきまとう。ブレイクスルーを起こすには、やはり小さい、小さい積み重ねしかなかった。

 

先日、携帯で次のような2つの広告を見かけた。

1つはオーダースーツのお店。ウェストコートの一番下のボタンは開けておくというルールが徹底されていない広告に違和感を感じざるを得ない。

もう1つは、時計しか見えないジャケットからの袖。本来であれば、時計のフェイスは少し見える程度で、シャツが1.5cmのぞく。手を曲げれば時計だけ出ると思うけど。“できるビジネスマン”を目指す人を狙ったその本の写真にも違和感が残った。

準備を突き詰めるというのは、確かに“失敗しないため”という側面があるのも事実。だけれども、その先には集っている場をよりよい時間としようとする配慮があり、そして、さらにその先に“説得力”を持たせて決定し、自分を含めた組織を前へと向ける目的がある。

 

服だけじゃ何も決まらないのは、わかりきったこと。

ビジネスマンには、ときに負けが確定したような勝負もあるかもしれない。でも、それでも、準備を怠らない姿勢にプロフェッショナリズムが宿っているし、それは表出する。そう感じている人が、僕以外にも少なくないとも信じている。

 

 

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