高校や大学でぼんやりと考えていたように、英語を使う日々になって、ある意味希望は叶った部分もある。
ただ、そういう環境にいれば、3ヶ国語以上使えるだとか、国家試験を持っているだとか、(誰でも知っているような)高学歴だとか、修士号持っているとか、聞いたことないような国のプロジェクト経験があるとか、まぁ、周囲と比較して、自分に対する劣等感は常にあって。
10代、20代の時間の使い方を間違ったのか、もしくは、そもそも生まれつきの能力ってやつが足りていないだけなのか、その両方か。
ただ、そのような中にあって、“確実に1つレベルが上がった”という瞬間は数年に1度あって、ドラクエのレベルアップの音が流れる♪
THとS、RとL、日本人が聞き取りにくいと言われる発音をきちんと識別(自分が発音できれば、聞き取れるんだけど)できるようになったのは、そのレベルアップにあたる。自分よりも優れているんだろうな、という人がI sink と言う度に、表現しにくいけれど、“優越感”っていうものが確実に自分の中に存在する。「あ、俺、あなたよりしょぼい経歴ですけど、I thinkって言えますよ」的優越感。こう文字にすると、めちゃくちゃ嫌なやつだな、と思うしあながち外れではないと認める。
さて、話を戻そう。このThの問題。大企業だろうが、高学歴だろうが、海外のプロジェクトにアサインされていようが、できない人はできない。年長者でも、できない人はできない。
簡単な話で、できないのは、その人が一定期間、ちゃんと発音について学び、練習をしなかったから。
Thをみた瞬間に、無意識的に口が動いて、ちゃんと発話できるかどうか、そのレベルに達しているのかどうか。それは、確実にThになるか、Sになるかで表に現れる。
別に言語学者でもなく、ちょっと平均的な日本人よりも英語が使えるからってことで偉そうにしたいのではなく、「スーツに対しての意識とか教養」というのは、こういう類のものだなとふと結びついたのだ。
スーツについても、一定期間基本を学んでおけば、確実に正しい選択をする可能性は上がるし、学ぶことをしなければ間違った表現をし続けることになる。それは、学歴やアパレル業界にいるからとか、海外の赴任経験があるからとか、関係ない。ドメスティックな毎日だとしても、できている人はできているし、年齢がある程度いってもできていない人はできていない。
かといって、別にできないからと言って、周囲から見れば「スーツ」なるものを着ているわけで、駄目なわけではない。I sinkと発話しても、「ああ、この人はI thinkと言いたいのね。」というように周囲が理解してくれるように、ちゃんと最低限の礼儀なるものは伝わる。また、本人の頭の中でもI thinkとなっているわけで、特段、問題ないように見える。まぁ、確かにSurviveする上では、問題ない。
じゃ、I thinkと発音できる人(スーツのことをある程度学んだ人)からすれば、どう見えるのか?
いい人:問題ない。この人はSurviveできているわけだし、伝わっているんだから。
嫌な人:あれ?僕、あなたよりしょぼいですけど、ちゃんとした着こなしをしていますよ?(という傲慢さと優越感。決して口には出さないけれど。)
こういう人からのマイナス評価が少し問題かもしれない。その程度だ。全体の割合で言えば、そう多いとは想えない。
(僕の名誉のために、少し弁護すると)こうして人のことと自分のことを比較して、優越感に浸るというような趣味の悪い時間はそれほど多くない。正直なところ、嫌な人ならばスーツについて毒づくけれど、好きな人とか同僚とか仕事で接する人に対して、いちいちスーツのディテールを記憶もしないし、どうでもいいというのが本音。その人が責任を持つべき部分であって、僕の仕事でもないし、加点だろうが減点だろうが、その人自身が背負うべき評価だ。
そう、この前置きの長い文章で、もっとも伝えたかったのは、スーツを学べば、確かにあるということ。
レベルアップの音が流れる瞬間が。
それが、楽しいというひどく自己満足的な行為。Thの発音と同じくらいに。この瞬間だけは、劣等感を完全に忘れることができるし、かといって、誰かと自分を相対化するというような不健全な時間からも開放される。
ただただ自分の知的欲求を満たす。
その意味で、趣味:語学、ランニング、スポーツ、楽器、というように並列されて良いようにも思う。
趣味:スーツ。
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