スーツを着る1つのゴールは“匿名性”を纏うことだと思っている。

 

なんの変哲のない、スーツにシャツにタイ。でも、それはそれで機能する。むしろ、変哲のないアイテムだからこそ、正しく機能する。サイズ以前に、柄やデザインの奇抜なそれらを想像すれば、容易に考えつく。匿名性。

 

(以降、関西の人、ごめんなさい。勝手なイメージであって、特定の人を指しているわけではないです。)

以前(2年位前かな?)、ぼんやりテレビを見ていると、マツコ・デラックスが「大阪って土着性があるよね」というような文脈で話されていて、妙に納得した。土着性。

大阪に3年住んだだけだし、関西の人と長く付き合いがあるわけでもないし、何よりも数百万人、数千万人いる関西の人を一言でくくるのはあまりに乱暴だと思うし、僕は山口の田舎者。あまり説得力はないかもしれない。でも、この土着性って言葉が耳に残っていたし、言い得ているなと感じていた。

 

 

日本人のスーツ姿を空港で見かけると、ドバイだろうが、シンガポールだろうが、大抵日本人だと当てることができる。それは、別にアイコニックなブランドのものを身に着けているから、というものでもなく、日本語を話している姿を聞いたからというわけでもない。ただ、なんとなく日本人であることが透ける。それは、マツコさんの言葉を借りると「土着性」があるのだという、なんとなくな感じが根拠となる。

 

ただ、時として、その「土着性」を持たない日本人もいるわけで、そういう人たちは近づいて見て「日本人的ななにか(言語や持っているタバコなど)」を見つけて、ようやく日本人だと分かる。

 

別に日本人に見えるから、見えないから、良い悪いって話ではなく、じゃ、なぜ、彼らは日本人っぽくないのか?ということが論点。

そして、結論は、「匿名性」をちゃんとまとえているかどうかの違いがそこにあるんじゃないかと言うこと。

 

洗練とも言うかもしれない。

モダンだと形容するのかもしれない。

もしくは、一流やグローバルというチープな飾りで比喩するのかもしれない。

 

ただ、僕としては、「匿名性」がある人は、スーツの目的をちゃんと理解し、機能を果たさせている、というように思う。じゃ、具体的には?みたいな話はまたこのブログか別の場所でということで。

 

おやすみなさい。本職に戻らなくちゃ。

 

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