【エッセイ】スーツ好きで得たこと、失ったこと

2018年3月からずーっとスーツに関わることばかり考えている毎日。

 

装うことがままならずトレンドなものを買い揃える人たちを、なんだかなぁと横目に見つつも、頻繁に買うことのできない靴をあれこれと悩む僕も、客観的に見れば、無駄な時間や資源を浪費しているという意味で、大差はない。いや、むしろ、経済活動に貢献するという意味では、僕は劣るかもしれない。五十歩百歩という使い古された言葉を年始早々思い浮かべるとは想像もしておらず、苦笑いをするしかなくなる。

 

スーツが好きで得たこと、失ったこと、ちょっとまとめてみようと、遅いけれど、2018年の振り返りでもある。

 

(失ったこと)

1. 中途半端なモノが買えない。悪いことかもしれないけれど、持つためには、一定の品質と価格を必要とする。

2. 惰性での着こなし。

(得たこと)

  1. 無駄な買い物がないと言い切れること。メルカリに出品するモノは何一つないし、今後も利用しないと思う。2017年は売りまくったけど。
  2. 自信 → 観察に集中できる。

 

2つだけ。失ったこと、得たことの番号はそれぞれリンクしている。

  1. については、今年買ったアイテムをどれだけ長く使うかが問われる。予定より長いとか予定通り数年に渡って利用するならば、+を得たことになる。飽きたから、とか、趣味が変わったとか、トレンドのものが欲しい、というような浮気心が出れば、僕の2018年の買い物は良くないと言える。ただ、あれこれ長く悩み、所得に見合わない「高い」と判断されるアイテムに余計な金を費やした、となる。
  2. について、惰性での着こなしが完全に消滅した。たぶん、周囲から見れば、「たかが」日常業務に、スリーピースをして、チーフを挿す僕は滑稽に映るだろうし、周囲との比較論をするならば、協調性は残っていないかもしれない。努めて地味ではあると思うけど(靴はベーシックなものだし、鞄も持っていないし、シャツは白かサックスブルーで、グレーか紺のスーツ、もしくは紺ジャケットにグレーのズボンという王道のコーディネーションが9割を占める。)。

 

正しく装うだけで、周囲からは浮く。

 

浮くことで、失うことは計り知れないように思う。きっちり認識したいとも思わないし、認識したところで、僕の着こなしが変わることもないだろうから。

 

むしろ、得たことのほうが計り知れないと感じている。外に出た瞬間に、自分が何を着ているか、身につけているかを忘れることができる。これが得たこと。嫌な風に聞こえるはずだけど、自分の身につけているもの、着こなしに、自信がある、ということへの結果だと思っている。

別に高いスーツを着ているわけでもないし、オーダーシャツに袖を通しているわけでもない。ただ、正しく着こなせているし、それは多分世界的にも間違っていないだろうという確信(例えば、スーツの既成品について言えば、アームホールをもう少し絞りたいとか、細かな修正や希望はある)。過信はしないようにとは思うから、自分の知識や感覚を疑うことはある。でも、ルールを破り過ぎていて、恥ずかしい格好、はしていないとは考えている。だから、外に出ると自分のスーツのことは余程のことがないと考えない。出る前に会う人、TPOを考えて、それに準じた格好を選ぶから。

 

これまでは、周囲と自分とを比較していた。それも、自分が劣っているという前提で。あのスーツは流行りかな。自分の丈は合っているだろうか。チーフは入れるべきなのか。シャツはやはりストライプがいいのかな。タイには明度があったほうがいいか。外に出れば出るほどに、自分との違いが目について、比較し、卑下する方向に考えていた。結果、常に何か新しいものを買う必要性に駆られていたし、買ったとしても、自分の手元に目に入るすべてのものを置けるわけではない。それは、負のスパイラルになる。持っていない→買う→買ってもまだ足りない→買う。

 

スリーピース、内羽根、チーフあり、ソリッドタイ。シャツは白とサックスブルーで、すべて日本メーカーの既成品。微調整はするけれど、基本的には既成品で揃えることができるから、出張中にすべてを失ってもリカバリーできる。

 

考える中で、自分の最適といえるアイテムが絞られ、それ以外のものは削ぎ落とされてきた。かなり偏りのあるワードロープになったのかもしれないけれど、たぶんアイテム自体に劣化が見られないならば、3年後でも5年後でも使えることができると思う。気持ち悪いほどにサイジングにこだわっているし、雑誌を情報源として買い物にも行っていないから。

 

そうした変化(自信)は、相手に集中できるということ。それは相手の着ているもの、ではなく、話や仕草、感情の波や表情という意味。

 

僕のように、小物や服が好きな人にとって、やはり会う人の持っているものや着ているものが気にならないと言えば嘘になる。これまでは、既述のように、比較する対象としてみていた。だから、見れば見るほどに、観察すれば観察するほどに、自分に自信がなくなり、オロオロしてしまう。

今は、確かに目に入れば見るし、ある程度どのようなアイテムを使っているかは判別が効く。ただ、それはあくまで情報の付属でしかない。僕の持ち物と比較することもないし、僕自身を卑下することもなければ、相手の持ち物がチープだからといって軽んじることもない。確かに服装やアイテムは、その人の人格や特徴、性格という目に見えないものの発露の一部だと言うことに疑いはないけれど、その人の全てだ、とかその外見はその人の9割を示している!なんて言う気はまったくない。

 

クドクドの悪い癖が出ているから、まとめることにする。

 

スーツについてあれこれ思考し、考え、言葉にする中での最も大きな収穫は、自分に自信を持てるようになったこと。そして、人とのコミュニケートに集中し、内容やロジック、文脈を把握しようと冷静になれていること。たぶん、これが最も大きな収穫なはずだと思う。

 

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