スーツに興味をもった昔話を。
「君が若かろうが、経験が少なかろうが、プロらしく振る舞いなさい。まずは、正しくスーツを装いなさい。」(初めて「attire:v装う」という言葉を知った。)
ちょうど10年ほど前、僕はフィリピンにいた。会計コンサルティング会社のフィリピン支店開設のために。最初の仕事は、提携する会計事務所を探すこと。そして、事務所すらないので、職場を間借りさせてもらう交渉をすること。
その過程で、Reyes&Tacandong.Co(https://www.reyestacandong.com/)を訪ね、そしてCOOのTacandongに出会った。
話し合いの末(とは言え、数十分)、無料で事務所の一角を使わせてもらえることになった。それは、Tacandongの広い部屋の窓側の一面。COOである彼が、自室を使う頻度はさほど高くないことが理由の一つだった。加えて、まだ設立間もないReyes&Tacandongだったけれど、すでに多く業務を抱えており、数十名だった社員が日に日に増えているところでもあったのだ(現在では650名を超える)。椅子や机は、このオフィスでは貴重なインフラだった。コピーもWifiも無料。コーヒーや紅茶も。Tacandongの秘書も。多分、人生の中で秘書を持つ幸運に恵まれることは、後にも先にもこの時だけだろう。予想や期待を大きく超え、日本のとき以上の環境−COOの部屋−で、僕は優雅にフィリピンでの仕事を始めることになった。
そして、冒頭の言葉を出勤初日の帰りに言われたのだった。
当時、たぶん平均的な装いをしていたはず。既成品のズボン(シングル)と長袖のシャツ(当時はカフスをしていた)。ネクタイはせず、靴は2万円ほどの革靴(スワールトゥ)。ベルトと革靴の色と素材は揃えていた。別に汚れがひどかったり、生地がほつれたりしたモノを身に着けていたわけではない。5月以降の日本では、どこでも見かけることのできる普通のサラリーマンの一人。日本よりも南に位置するフィリピンだから、僕にとってはまずまずの装いだとも感じていた。
対して、Tacandongの装いは、上下共地のスーツ。タイにチーフ。靴はよく覚えていない(当時、そこまで知識はなかった)。ただ、シワのないジャケットが印象的だった。
服装について、関心がないわけでもなかった。中学生ごろからファッション雑誌を読み始め(Get onとか、Smart)、欠かさず読んでいるのだから。まして、仕事の服装も最低限度の配慮はしているとも自己評価していた。その頃の僕は、周囲とファッション雑誌が基準であったのだから、それらと比較をし、さほどまずい格好をしているわけではないと自覚していた。だから、初日に指摘されることは、意外だった。
今考えると、このような背景に加えて、当時のことが鮮明に思い出される理由は他にもあったなと思える。服装に関して指摘されたことが初めてだったのだ。ポジティブというよりも、どちらかといえばネガティブ、説教的な文脈で。日本では、僕もそうだけれど、誰かの格好をイチイチ指摘しない。まして、ネガティブなことは一切言わない。
「なんで、ジャケット着ないのですか?」
「なんで、半袖シャツなんですか?」
「すね毛、見えていますよ。」
「靴、汚れていますね。」
いずれも、一日5回以上は思っているけれど、口に出したことはない。
極めて普通の、いや、ちゃんと空気の読むことのできる人間なのだ。
コメント