先日、同僚の送別会があった。彼女とは、南アのプロジェクトに行った思い出があって、寂しさというものを感じないわけではない。けれど、プロジェクトが終われば、また違うプロジェクトへ、と働く場所を変える僕たちの業界では、よくあること。そんな感傷に浸るほどに、一人ひとりに時間もあるわけじゃないし、まして、僕の能力を鑑みるならば他の人の心配をする器量があるわけでもない。

 

贈り物の謎解きは無粋だとも思っているけれど、彼女は決してこのページを見ない。知らないから。書いてもいいよね。

 

ちょっと良かった話。ペンのことを考えていてよかった。プレゼント選びをすることができたから。

金額の制限もあったけれど、選んだのは、Caran d’Ache(カランダッシュ)の「849(はちよんきゅう)」。前の投稿でもDelfonicsの記事を取り上げたけれど、そこで紹介されていたもの。筆記量は8kmにも及び、A4で600枚になる。そして、1本青インクも追加しておいた。

 

日本であれば、大抵の人が「黒」を用いるが、南アのプロジェクトの2週間で少し彼女と話す中で、彼女が「青」を使うことを覚えていたから。

 

気持ちの悪い癖のひとつで、人の持つもの、使うもの、好きなブランド。こういったものを僕は仔細に覚える。別にそのモノの価格帯で、人を測りたいわけじゃないけれど、良い物を使っていたりする人にはその人の物語が、合理的な選択をしている人にはその人なりの理屈が、たしかに存在するから。モノの選択は、人を映し出す。それは、なんだか僕にとっては愛おしいと感じれることの一つ。

 

彼女は、カナダの大学院を出ている。その後、アジアでの業務。バックグラウンドは海外が多く、英語だけじゃなく、フランス語も操る。そして、「青」のペンを使うのは、そういった海外経験の長さが影響しているかもしれない。「青」のほうが、欧米では好まれる傾向にあるということを、何かの記事で読んだ覚えもあった。黒で「コピー」って書いても、コピーにならないけれど、青で何か文字を入れれば、コピーであることの証明になるとか、そういう類の話だったと思う。日本で言えば、印鑑みたいな?

無論、こんなくだりを語る時間もなければ、実際に本人や参加者に語れば無粋を通り越して、無神経だと思うから、さすがにしていないけれど。

 

さて、「青」インクについて語りたいわけじゃなくて、言いたいのは、知識ってこういうとき、つまり、人のためにあるんだよな、ってこと。100%自画自賛だけどね。

 

人の好みを覚えているか。

制限のある中で、何かしら意思を持った買い物ができるか。

 

知識と記憶がないならば、選べなかったモノ。彼女への感謝と今後に対する期待とを、たった数千円に込めるのは、いかんせん、詰め過ぎかもしれない。

 

「お気に入りの青インクに入れ替えて、使います。」

 

ただ、送別会後の彼女のメールに書かれた一文は、僕にとって「ありがとう」の数百倍の価値を生み出したのだった。

 

よい時間と今後も変わらないご活躍を願っています。

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