【エッセイ】価値のつくり方

月末の週末は、靴と革製品のお手入れ。靴に4時間くらい。鞄とかの革製品に1.5時間。オイルの浸透を待つ間に、靴下のすり減り具合、シャツのボタンのほつれ修理、下着のチェック、ネクタイの劣化具合の確認、ジャケットやスーツを改めてブラッシングなんかをする。あ、あとはムシューダの入れ替えとか、靴箱に敷いている新聞紙の取替なんかも。筆記用具のインクの確認や傘のサビの具合なんかあるか。メンテナンスの日。半日はかかる。

 

基本的に、この半日は何も考えていない。でも、なぜかふとあの一節を思い出した。

『星の王子様』の有名な「かんじんなことは、目には見えない」に至るほんの少し前、多くのバラを前にして、王子様は自分の育てたバラと比べて次のように言う。「あの一輪の花が、ぼくにはあんたたちみんなよりも、大切なんだ。だって、ぼくが水をかけた花なんだからね。」

 

高いモノ、ブランドモノ、新品のモノ、美しい(と他人が認める)モノを手に入れることはそれほど難しいことではない。ただ、自分にだけ価値があるモノを手にするには、時間と、そして、「かんじんなこと」を必要とする。もっとも他人が価値を置くものを、自分も価値を置くのであれば、話はシンプルなんだけれど、誰しもそんなに単純にはできていないはずだ。みんな違うから。

 

だから、靴磨きが楽しいよ、とか、トレンドだよ、とか、そういうのを主張するつもりは毛頭なくてね。いささか、感情的な話をするなら、「かんじんなこと」を注ぐ対象があるというのが、幸せってことだろうなって。恋人でもいいし、子どもでもいいし、ゲームのキャラクターでも、後輩でも、車でも、音響設備でも、何でも良いんだけれどね。

 

クサい話ついでに言うならば、「(目に見えない)かんじんなこと」というのは、「こと」と訳出されるけれど、動詞であって欲しいなと思っている。オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』で、デラとジムがそうであったように。オスカー・ワイルドの『幸福の王子』で、王子様とツバメがそうであったように。そのいずれの登場人物自体が「かんじんなこと」ではなく、彼ら彼女たちの「行為」こそが、「それ」なのだから。

 

 

 

 

 

 

それにしても、こんなに靴があるんだね。それでも、まだ足らないという感覚になるのは、浮気かしら。そして、たかが手入れの話をよくここまで飛躍させたな、なんて、読み直してびっくりしてしまう。

 

あ、気分は台無しね。

だって、日常へ戻らいなといけないからね。月曜日だね。

 

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください