【エッセイ】服と自制

匿名性の高い都市だと、人に覚えられるということは少ないだろうけれど、地方ではままあるようだ。

スーツホリックな友人がいるのだが、控えめに言っても彼の装いはパーフェクトを超えている。基本に忠実、その上で彼なりの趣向やスタイルがあるから。サイズが合っているか、ナチュラルな素材か、仕立てが良いかというような一般的な話は野暮だと思えるので、彼の前でしたことはないし今後もしない。ハットをかぶり、その姿を地方の駅の中高生が見て驚く様子を例に出し「もはや、現代だとコスプレの一種かも」なんて自嘲気味に語る。東京でも、そんな完成度の人には一ヶ月に一度すれ違えるかどうかだ。ということで、彼が普通に装うと、地方でも目立ってしまうことは想像に難くない。

コンビニでも覚えてもらえているらしく、「お医者さま?」なんて声を掛けられたらしい。バスの運転手の方からも覚えられているようで、「今日もお疲れさまです」なんて挨拶をいただく様子。彼も彼でそういう声を掛けられると、「装いに見合った行動を取ろう」と気が引き締まるようで、できる限りの紳士さ、丁寧さでもって接するらしい。

 

 

この話は共感できることが多い。同級生としては、「男の子の背伸びあるある」だと思う。

 

 

自室ではナルシストでも、一歩外に出ると、「服装に見合った行動を取ろう」とわがままな自分を律するように努める。例えば、都会では人とぶつかりそうになることが多いけれど、絶対に道を譲る。エレベーターではなくできる限り空いた階段を選択する(混雑の中に身を置いて、人に道を譲ってもらうというリスクをできる限りオフにしたい)。お会計のときも、ゆったりと、でも、並んでいる人がいるならば待たせないような会計手段を選択。靴紐もゆっくりと外して靴を脱ぐ。鞄を机の上に置くという暴挙は絶対にしない。できる限り無駄口は叩かないようにする。方言が出てくることもあまりなくなる。姿勢にも普段以上に意識が向かう。何よりも、一つ行動をとったあとに、「今のって紳士的だった?ベストだった?」なんて一人反省会が即座に行われる。また、周囲の紳士的な対応を見れば、即座に取り入れようとする。

それ以外にも着る前日から始まっていて、爪を磨き直すとか、指毛を剃るとか(僕は指の毛好きじゃないから)、シャツにアイロンをかけ直すとか、そういうのも全部含めて、「服装に見合った行動を取りたいな」っていう部分につながる。

 

前提として、周囲を不快にさせないようにという最低限のマナー(仕事の準備)を下敷きにしているのだけれど、服装が(怠惰な)自分を律するという側面はゼロとは言えない。もっとも、行動って人間性の表出だから、服装に関係なく一貫して、安定して、高いレベルでの振る舞いができることがいいし、オトナの男だったらいつだってそうしないといけないのだけど、そんなにできた人間性ではないからね。

 

この話から伝えたいことは、スーツ(もしくは服)が好きな人って、どっかのタイミングで思考が内面に向かうということ。最初の段階ではどの生地屋がいいとか、どのボタンがいいとか、サイズがこうだとか、デザイン的な部分でもあれこれと気になる。ただ、一定の知識の蓄積とお金を注いできたときに、ふと振り返る。「はて、身の丈(人間性)に合っているのか?」と。その品質や創り手のプロフェッショナリズムに、自分はふさわしい人間?って。周囲の目に映る自分(スーツ)と自分の行動ってバランスしてる?って。

 

鶏と卵だから、人間性を高めるということを始点として、外見を整えるという“作業”にも着手するパターンもあるかと思うけれど、そういう人は最初から、立居振舞いも意識できているはずだ。

 

 

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』から引っ張ってくると、「有為な人間は、すぐに外面から内面に向かって自己を教養する。」らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という長い自己弁護としての前置きをしたから言えるんだけど、2020S/Sに向けてスーツを一着新調しようと思っているよ。

 

 

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