【エッセイ】ガンダムじゃない人の働き方改革 — 週休3日

ラッパーは、ディスり合うことがある。一方がディスれば、もう一方がディスり返す。ただ、一般的にこのディスの応酬はあくまで各自の曲中で展開される。

今日は、ディスというネガティブな文脈ではなく、ポジティブな文脈でこの文化を借りたい。

 

宇多田ヒカルの『Fantôme』(2016)中の「忘却」でもフューチャーされたKOHHは、自身のヒット曲『貧乏なんて気にしない』の中でラップする。まず「目の前にお金がなくても幸せなことがあるからだいじょうぶ」としつつ、後半では「やっぱり将来は高級車にも乗りたい」と。

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コネもない。貯金が多くあるわけでもない。恵まれた才があるわけでもない。資金調達をするような有望なビジネスモデルを創り続けているわけでもない。やりたいことはマスメディアの影響を受けながら着実に変わっていく。能力的には現状維持が精一杯なのに。「そんなパンピーに何ができる。」日々問い、大学を卒業して10年を経ったころから、解を求めることに諦めがつきはじめる。「使える資源」と「必ず消費する資源」の引き算から、「手持ちの資源」と「近い未来の資源」が具体的に見えるからだ。

そんな諦めという名の淀みは、突然流れ始めた。出版という目標(夢想と言っても良い)が叶う瞬間が訪れようというのだから。

 

やっぱり高級車にも乗れるのではないか。

 

幸いにして、僕の編集担当は(きわめて)優秀だった。

「(類書のデータが載った資料を見せてくれた上で)スーツの本でいうベストセラーは10,000部。多くの書籍は重版されません。印税は10%程度。井本さんの場合は無名ですし、初版部数はかなり絞られると思いますよ。自身のメディアがあって、すでに読者がついて高いPVを叩き出しているわけでもないので。」かなり早い段階で、この事実を教えてくれたのだから。

 

KOHHのラップを頭出しで聴かなければならなかった。

「目の前にお金がなくても幸せなことがあるからだいじょうぶ」。と。

 

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僕たちは宇多田ヒカルやKOHHのような一握りの天才ではない。

天才ではない僕たちに、どのような選択肢があるのか。

マスコミは言う。

資格を取れ。起業しろ。投資しろ。転職しろ。あたかも、僕たちが才能に満ち溢れた「主役」であることを錯覚させるかのように。

 

平凡な一人としてこう言いたい。

現実を直視し、等身大の解を出すために、会社を卒業しインドを訪ねる必要もないし、ビジネスモデルを捻り出して資金調達を始める必要もない。

『社畜上等!』(晶文社 2018 常見陽平)を読めば、天才ではなくても、バランス良く、健全に、今すぐにでも「前を向ける」ことに気がつけるのだから。 最近では、『1984』のビック・ブラザーのように描かれがちな会社は、実際のところ、労働者にとっても価値があると改めて気付かされた。とりわけ、「仕事をやらされること」を価値に転換できたことは、パラダイムシフトと言える。

 

偶然であったが、この常見先生の書籍も、僕がとった方法も、マスコミの言う資格、起業、投資、転職、を煽るものではない。

 

本を出せる幸運に恵まれたという特殊な事柄は、汎用性に富んでいるとは言えないかもしれない。でも、一般人がYouTubeやブログというようなメディアに食い込める時代。メルカリのようにCtoC取引が成立するプラットフォームがある昨今において、本業以外での収益を生むことは、さほど珍しくもないのではないだろう。今年度の僕の働き方や「会社とどう付き合うか?」を紹介することは、参考になるかもしれない。

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「2019年は限定的に週休3日で本業を続け、残りの時間で書籍を書く。」

 

 

週休2日のままであれば、書籍を書くための情報収集の時間は取れない。自分が「副業」と割り切っていたとしても、市場と出版社が求めるのは「プロとしての仕事」である。そもそも本名を晒し、世の中に残る仕事が不完全燃焼では、死んでも死にきれないだろう。やるからには全力以外ない。

自分の問題でもあるが、書き始めて調子が出てくると、アドレナリンが出るのか、寝られなくなる。朝までぶっとおしで書いて、そのまま仕事に行く。そして、また帰っても(通勤電車でも)アイデアが止まらず、帰宅後ご飯も食べずに書く。結局2日で睡眠時間が4時間なんてことも昨年度には多くあった。

 

他方、週休4日ならばどちらが本業かの区別もつかないし、会社から「じゃ、キミいらない」と言われるリスクは高まる。僕は資産家でもなければ、非凡な才能の持ち主でもない。会社でエース級のパフォーマンスを示せるわけでもない。本業がなくなってしまえば、すぐに経済的に頓挫することは誰よりも自分が理解している。

 

本業のカネと時間についても話さなければならないだろう。

国際協力の仕事といえば聞こえはいい。ただ、常にプロジェクトベースで仕事が動くので雇用(時間とカネ)は安定しない。また、1.修士卒(僕はまだ修士に行けていない)、2.途上国や海外経験1年以上、3. 平均以上の英語力(TOEIC860や英検1級以上)という3点を応募の必須条件として課されていることが多い。いずれも大学卒業後の本人の努力と時間でカバーできるものの、(学士の)新卒や第二新卒でこの分野に入れることはハードルが高いと言わざるを得ない。

賃金は適切に政府側に報告できる金額でなければならず、ルールが存在する(あまりに恵まれた賃金や手当は存在しない)。また、政府からの仕事は個人で受託できるものでもない。組織(法人・会社)という主体を必要とする。いろいろな働き方が認められるものの、客観的に見れば、プロジェクトは会社と政府の間での契約があり、その契約下で個人は働くことが許される。たとえ、フリーランスで法人に属していない状態だとしても、プロジェクトに参画する以上、雇用されている状態と大きな差はない(プロジェクトに参画する場合は、大抵入札時点ですでに法人との雇用契約がマストだし、当然ながら人物のスペックは、プロジェクト採択の点数に影響する)。この業界ではよくあるように、僕も雇用契約上は「非正規雇用」に属するし、その雇用期間の限度は最長5年である。

時間についても、お金と同様のことが言える。プロジェクトがあれば忙しくなるし、それは一定ではない。

つまり、カネも時間も安定が望める境遇からは遠い。

そういうことで、本業(できること)と可能性(やりたいこと)のどちらも追求する「カネと時間のバランス」を「週休3日」として設定したわけだ。失ったものは、1日/週分の賃金と有給休暇。ざっくり言い換えると、待遇はフルタイムの4/5。フェアな取引だ。

 

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では、「週休3日」を始めて2ヶ月ほどが過ぎて、何を得ているか。

2つだけ紹介したい。

 

1. 時間的な余裕→「楽しく働く」

会社では、「やらされる仕事」がある。「嫌いな人」や「理不尽さ」とも付き合う環境がある。一見ネガティブでストレスになりそうな事柄だけれど、週に3日も休みがあれば、時間的な終わりが見えている。

「やらされる仕事」や「理不尽さ」にも客観的に見れば必ず理由がある。「嫌いな人」との仕事でも、そもそも「嫌いになってしまった原因」や「嫌われる自分の問題」があるはずだと冷静になれる。たとえ矮小な人格でも、確実に精神的なゆとりをもたらす。嫌なことも、仕事の質、大きな視点でみれば人生の質を上げてくれる。と。

結果、人間関係を始めとするストレスから開放される。仮にそんなにポジティブになれなくても、そのストレスに接しているのは、28時間(7時間×4日)。168時間(1週間)の17%に過ぎないのだ。そう考えれば、幾分気持ちは楽になる。これで、残りの140時間の生活コストも賄われているのだ。コスパは良いように見える。

 

2. 謙虚さ

使える時間が増えて何をするかは人による。介護や育児をこれまで以上に行う人もいるだろう。趣味でもいいし、これまでしたくても出来なかったことにトライする人も。僕のように収益が上がる可能性がある活動をする人も。

 

いずれの場合でも、「家に閉じこもり、何にも触れない」という場合を除けば、違う分野の人に出会う。そして、気がつく。その分野には、その分野のプロがいることに。たとえ、副業がうまくいって収益を得ることができたとしても、上には上がいる。当然だ。

 

常見先生も指摘するように、「仕事をやらされる」ことで、確実に職場において能力はアップする。

また、社歴は企業(コミュニティ)内の発言権を決める要素の1つだろう。結果、自分に対する圧力は入社当初より格段に少なくなる。概して、人は易きに流されやすい。意識的に自分を批判し、鞭を打たなければ常時高い意識とアウトプットを保つことは難しくなるだろう。とはいえ、僕は、激しいMでもなければ、常時高い意識で生きているとも言えない。できるならば褒めて伸ばして欲しいなんて甘っちょろいことも考える。

でも、外に出れば、プロを感じるのだ。そして、本業に対しても振り返る。「プロとして仕事をしているのか」と。同じ業界の人間や同僚との比較は、もしかしたら、嫉妬や妬みも入り込んでしまうかもしれないが、そんな捻くれた感情を持つ場合でも、他業界のプロ意識は吸収しやすいのではないだろうか。

プロのスポーツ選手を称賛するのは、その結果や成果というよりも、むしろ心構えだったり日頃の練習風景の地味さだったりするのは誰もが経験するはずだ。

 

結果、会社でどれだけ社歴があっても、能力が向上していても、素直に健全な自己批判が始まる。

それを、僕は「謙虚になれる」と表現する。良いことであるはずだ。捻くれるよりも、よっぽど。やや楽観的な言い方になってしまうが、お客さんのために、広くは社会のために、そして自分自身のために自律的に研鑽を促すのだから。

 

 

理解のない上司、言葉の通じない部下、降ってくる仕事、理不尽な評価と仕打ち。そんな日々ですり減っているならば、少し立ち止まって、自分なりの解答を出すことが必要だろう。誰一人として同じ人はいないのであれば、なおさら、答えは多様なはずだ。

僕たちは、高級車には縁がないかもしれない。幸せなことも見えていないときがある。自分でその都度、解答を出さなくてはならない。他の人では代替できない。

 

ただ、一定の楽観をベースに考えを進めていいはずだ。

 

「会社も悪くないものですよね!」(『社畜上等!』最後の一文)なのだから。

 

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