「抱腹絶倒。パンチラインの連続。まるで、名作映画のよう。」
内容は、エッセイストの著者が周囲の「スーツ難民」に対して、販売員の力を借りつつ、スーツを選び出していくというもの。もっとも、タイトルが示すように、スーツの選び方やルールをビジネスライクに教えてくれる本ではない。でも、あなたが「スーツ難民」、つまり、専門用語は苦手、お店を探すのが億劫、別にオシャレになりたいわけでもないけれどスーツもどうにかしなければならないと考えている男性ならば、ページを開いた瞬間から共感(怖感?)が拡がるに違いない。楽しい感覚だけではなく、スーツに対する確かな学びがあるし、何よりも「スーツ、ちゃんと選んでみようかな」という健全な姿勢を取り戻せる。
もちろん、男性のスーツ姿(が好きが故)に苛立ちもしくは疑問を抱いている女性は、秒で著者に憑依できる。面白くないわけがない。
『女性スタイリストの選ぶ〜』とか『女性にモテるための〜』という類の本の著者はスタイリストやカラーコーディネーター。おじさんはやっぱり(若い女子に)モテたいのだという男の本音が露わになった商業的な本たち。それらと比較すると本書は明らかに異質。ピュアな「好き」が基点となっている。スーツについて深く学び指摘しても、得をすることなど一切ない。趣味の純度100%。逆説的だけれど、だからこそ、言葉にポップさと重みといった一見矛盾する力が生まれる。
誰だって服装にダメ出しなどされたくない。自分のセンス、努力や倹約した姿勢、それら全てが否定される瞬間。その威力は絶大で、すぐに「中身が大切!」と全力で叫び自分を擁護する。でも、こういった「ダメ出し」は第三者として客観的に見るならば、あまりにエンターテイメントに富んでいると認めざるをえないだろう。だって、お決まりの「中身が大切」なんて言い訳を自身にしなくてもいいのだ。その字の如く「気楽に」読める。
ただ、「気楽に」感じられるのも束の間。いや、一貫して笑いもあるけれど、著者が「スーツ難民」をリフォームしていく過程の観察眼と表現に、じわりと手汗をかきはじめる。詳細は一つ一つ読んで欲しいが、この観察眼(視点)が確固たる土台として存在していたから、結果的に周囲の「スーツ難民」は間違いのない選択ができたのだし、僕たち読み手は学ぶことが多いのだ。「好きこそものの上手なれ」とは使い古された言葉だが、これ以上の形容を知らない。同時に、表現を生業とする人だからこそ、スーツのデザインや用語の解説といったありきたりの情報に触れるだけではなく、哲学的な部分やメンタリティといった形なき「スタイル」が文字として目の前に現れる。どうなるか。
必然的に無数のバチバチなパンチライン(決め台詞)が生まれ始める。どれだけ威力があるかを示す具体例として一つだけ紹介したい。
「決まりがたくさんありながら、無限に自由。それがスーツの醍醐味なのだ。」
僕はスーツの本を2冊書きながら、この言葉にたどり着けなかった。でも、これこそが、より多くの人に伝えるべき言葉。知ってもらうべき言葉。なぜこんなパンチラインが次々に生まれてくるのだろう。もちろん、エッセイストとしての経験とプロの技術がその理由。いや、なんだか附に落ちない。そんな疑問をいだきながら「あとがき」に至り、ようやく答えを見つけることができた。
著者の言うように、この本の始まりから終わりまで、そして、この本が世に出ることになるプロセスまで全て「愛」を下敷きとしているのだ。企画という商業的な意図が前面にあるとしたならば。もしくは、「女から見ると、こういう男がモテるのよ」というようなありふれた「性愛(エロス)」だけが語られているならば。きっと、これほど刺さるパンチラインは生まれなかったのではないだろうか。
「友愛(フィリア)」や「無償の愛(アガペー)」。こういった愛に溢れたスーツの本を、僕は観たことがなかったのだ。これが、本書を異質であると感じたことの本質的な原因。
なぜか懐かしさを憶えたから、少し記憶をたどってみた。『シンドラーのリスト』。
シンドラーが1,100人のユダヤ人をアウシュビッツから工場に戻してすぐ、手を拭きながら司祭に言った。「(金曜日は)君らの休息日だろ」。シンドラーが前半のギラギラした経営者から、変わった様子を象徴する1つの名場面。このシーンで手を拭いたポケットスクエアを胸ポケットにしまう姿はあまりに美しいのだ。なぜなら、「友愛(フィリア)」や「無償の愛(アガペー)」がそのまま映し出されているのだから。それと同じ感覚。
本書は「スーツ難民」でも、女性でも、まるで名作映画を観るように読み進められる。名作映画にありがちな涙も怒りは一切なく。
だって、この本は愛で満ち溢れているんだからね。
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