【エッセイ】よみ手としての賢明さ

「3:7=漢字:ひらがな」

この割合で文章を組み立てると、読みやすい文章がかけるらしい。

 

そこで、漢字とかなの使い分けに関する文献に目を移してみよう。

 

— 実質語(名詞、動詞、形容詞)は漢字で、機能語(格助詞など)はひらがなという基準がある。訓読みを無くす上でも役立つ基準といえる。また、漢字はひらがなに比べて、意味を制限する強い文字である。一方、ひらがなは意味の多義性やあいまい性を保持できる。 −(参考『よくわかる文章表現の技術Ⅰ』石黒圭 一部修正)

 

つまり、漢字は1実質語であり、2意味を制限する、3.強い文字となる。

 

スーツスタイルをこの文脈で読み解くと、漢字はスーツ自体をはじめ靴、時計やタイになるだろうか。一定の量の文章でも、漢字だけを追えばある程度意味が見えてくる。漢字がそうであるように、スーツ、靴、時計、タイは容易に周囲へメッセージを発する。

 

 

反対に、ひらがなはシャツや靴下というような何かと何かをつなぐ、言い換えると、“漢字(スーツやタイ)”を全体の印象に沈ませる(馴染ませる)役割を持つプロダクトになるだろうか。

 

さて、言葉とスーツとをつなげて考える僕の悪癖をご披露差し上げたい(もう披露しているけれど)。

 

 

確かに僕たちは靴や時計でその人を判断しがちである。ブランドや質の良さがひと目でわかるのであり、高い時計や靴はその人の経済的な力量を示している。高級ホテルのドアマンが来客者の足元を見て、上客かどうかを判断するというような話はこの類だ。また、Apple Watchに代表されるスマートウォッチを身に着けていれば、流行やITに敏感な人だと想像できる。この意味で、メッセージ性が強いことは、自ずと2意味を制限するという働きも兼ねている。少なくとも、身につけている靴下で人を判断するということは、(僕はするけれど)あまり世間一般的ではない。

 

また、メッセージ性としてもシャツや靴下よりも、当然靴や時計が強いだろう。それは、雑誌の特集を見れば一目瞭然であるし、ウンチク好きな人からのウンチクの量でも理解できる。シャツを語る人よりも、圧倒的に時計を語る男性のほうが多い。この意味でも、漢字に分類したプロダクトたちは3.強いという漢字の特徴を示している。

 

 

したがって、靴下を奇抜なものに変えたり、シャツを目立つものにしたりしてメッセージ性を強めることは、いわば、漢字だらけの文章にしてしまおうという改悪であると言える。

 

反対に、スーツ、靴、時計、タイに意味を制限しないような「弱く」て、没個性的なものを選んでいるならば、そのスタイルは、ひらがなだらけの文章と同義で頭の良くない学生服に成り下がる。

 

しかし、だ。

周囲にわかりやすい文章(よい文章)は、「3:7=漢字:ひらがな」だった。これはスーツスタイルにも言えるのだろうか。

当然、量的に見ればNoである。シャツと靴下の目に見える量は多くない。

 

ただ、主体を創る側から、受け手に変えると事情は変わってくる。

読む側からするとシャツと靴下を見さえすれば、その人の7割が透けて見えてくると考えている。気の利いた色や柄ではない奇抜な靴下であれば細部に気を遣えない人だろうし、個性的なシャツであれば自意識が高いことが読み取れる。できる限り目立つものを避けて、メッセージ性を削ぎ落とすことができているかがあらわになる。

漢字のメッセージ性とその強さに惑わされないこと。

賢明なよみ手でありたい。

 

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください