【エッセイ】反論と強さと収穫

運良く、日頃思っていることを議論する機会に恵まれた。

 

  • スーツが画一的になることが望ましいのか?なんだか、ロボットのようで、その考え方(僕の考え方)には賛同できない。
  • 「(選択における)不自由さが良い」と言うけれど、十分今だって「不自由」じゃない?自由に選べることって、Vゾーンくらいだと思うけれど。
  • そもそも、スーツ業界の大手が、夏場のスーツは辞めます、って言えばいいのに(女性の意見)。(確かに、一理ある。)

 

どの反論・意見にも正しさがあるし、当然な反論だ。ただ、僕の頭一人で考えれば、

  • 画一的でいいじゃないの。ミスして恥かいている姿より、マシだ。
  • 確かに。。。いや、生地とかディテールの自由度があるんだよな。Vゾーンだけとも言えないんだよなー。
  • 確かに。。。合理的。いや、でも、それ、もっとだらけちゃう。

ともっともらしい反論を1度しただけで、頂いた反論を自分の中で、殺してしまう。

ただ、今回のように、眼の前に存在している人の意見は、簡単に殺せない。

というか、死んでくれない。

 

反論をしてくれ、(僕が)カウンターを返しても、反論してくれるというのは喜びですらある。

自分の思いつかない意見を発見することにもなるし、何よりも自分が“準備不足である”ことを知る。たとえ、議論を長くして、結果として、僕が言い負かしたとして、それはボクシングで言えば、判定勝ち、もしくは、ギリギリ12RでのKOか。そんなヘナチョコじゃ駄目で、一発でKO。それも早い段階で、というのが求められることも学ぶ。

 

100人全員を一発でKOする、なんてことは絶対にないにしても、自分の表現と知識をちゃんと確立する強さが欲しいなと。強さがないとね、相手の意見も簡単に殺しちゃう。強かったら、耐えられる。そうして、もっと強くなるよなって。強くなった先に、より広く認められて、高いレベルの、精度のよい意見が組み上がるなって。

欠点と課題を見つけることができた。

 

そして、何よりも収穫なのは、誰しもが何かしらのスーツに対する意見を持っているということ。年齢、性別問わず、既存のスーツが良い悪い、はさておき、誰でも議論ができ、”正しさ”もある、ということ。

多分、サッカーとか野球よりも、ロジカルシンキングやマーケティングよりも、英語や中国語よりも、カジュアルファッションや女性の服装よりも、議論となりえる対象。面白い。

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