星海社の書籍を書くなかで、途中でボツにした(文脈にそぐわない・偏りすぎ)内容を少し振り返ってもいいかなと思って、ここに挙げておく。
暖かくなると、考えることの1つ。書籍以上に偏った考えだけれど、少し加筆修正をして、オープンにしておきたい。
『スマートカジュアルの必要性』
「スマートカジュアルでいいから」
2013年の12月、初めてドバイでの社内会議に出たときに、同僚(南ア同世代)が夕食の前に僕に言った言葉だった。スマートカジュアルなる言葉を当時の僕は知らなかった。
日本では、クールビズが2015年に流行語大賞になった。ついには、『スーパークールビズ』という言葉も使われるようになった。公的な機関でアロハシャツを着た姿がメディアに取り上げらたことは記憶に新しい。この例は何も日本だけではなく、日常のオフィススタイルは世界的にもカジュアル化の傾向にある。
ネクタイなし、ジャケットなしのスタイルがデファクトスタンダードになりつつ現代では、通年でネクタイをして、ジャケットを着る(ときにベストまで着てしまう)人間は、どこか近寄りがたく、気取っているようで、そして、協調性がないとみなされることもあるようだ。横並びを好む日本人はその傾向が強いようで、「(外すのが当然という文脈で)なんで、お前はネクタイを外さないのだ」とチクリと刺されることもある。僕からすると、カジュアル“ダウン”しているのは周囲であって、僕はルールに則り、素材を夏素材にするとか工夫をして敬意を示す着こなしをしているのだが、それは周囲から見れば「外れた」行為。それが転じて、いくら正しい着こなしだとしても「協調性のない人間」というラベルを貼られてしまう。理不尽である。ただ、だからといって、大きな流れに逆らうように、自分の正しさを頑なに主張し続けると、協調性のない人間という評価に加えて「頑固な人間」という称号も得ることとなる。(決して、「こだわりのある」というようには評価されないのは、この国の国民性だなと思っている。)この不名誉な称号に対して不平不満を述べるのも建設的ではない。
大人としての対応としては、フォーマルなスタイルもでき、かつ、カジュアルダウンも難なくこなしてみせるということ。TPOをわきまえて着こなしをすること。現代においては、これがフォーマルだけに固執するよりも、より柔軟で好まれる考え方だろう。
とはいえ、フォーマルに加えてカジュアルも別途用意することは、僕たちにコスト負担を強いる。これがいつも僕たちの頭を悩ませる。結果、フォーマルに徹するか、もしくは、周囲を迎合したタイなし、ジャケットなしのだらしないその他大勢の一人としてプロフェッショナルのかけらも見せることのない服装に甘んじるかの二極化を引き起こす。
そろそろ、この問題に終止符を打ちたい。
その前に、近年のカジュアルのトレンドに目を移してみよう。
あらゆる価値観が尊重され、多様化をたどっているカジュアル服において、やはりファストファッションの台頭は近年の大きな流れだろう。また、多くの書籍で紹介されるように、安価な商品を程よく取り入れ、全体のコーディネートを行う。その際、「ノームコア」という単語がキーとなる。それは、Normal(普通)とCore(核心)を合わせた造語で、あえて日本語訳をするなら「究極的な普通」となる。スタンダードで、シンプルな装い。高価なヴィンテージのスニーカーやジーンズを揃える必要もなければ、パンキッシュである必要も、ダメージをあえて入れる必要も、そして、最先端のデザイナーズの服を買う必要もない。
ここからは僕の勝手な解釈だが、ノームコアが最も「清潔感」を示すことができるし、「コスパ」がいいからこそ、市民権を得たのではないか。結局、ファッションに傾倒する人は、全体的に見ればほんの数%だし、大抵の場合は、「あまりみすぼらしくなく、普通に見えて、リラックスできる」ということがカジュアルシーンにおいて、多くの人に求められるニーズだと思う。カジュアルウェアに、自分の生き様や、好きな音楽性、好きなデザイナーのトレンド、お金をかけていると思われたいというニーズは高くなく(個人的にはぶっ飛んだカジュアルを体現している人に好感は持つ)、優先順位のトップには上がらないのではないか。主張の少ないスタンダードなアイテムをいくつか持ち、着回すというほうがコスパはいい。その上、シンプルゆえにあれこれと飾りがついているものよりも清潔に見え、好感度も高くなる。服にこだわりを持つ、数%以外の人が、この「ノームコア」に寄り添うのも理解できる。
ここまでの話で、2つのことが読み取れる。
- ビジネスにおいては、カジュアルダウンの装いもあるほうが良い。
- カジュアルにおいては、ノームコアなシンプルで清潔感のある着こなしが良い。
通常、多くの人は、ビジネス・ビジネスカジュアル(ビジカジ)・カジュアルという3層の服を揃える。ただ、僕にとってはこの3層を持つことが煩わしいし、金銭的な負担も強いてしまうと感じていて、悩ましかった。そこで、2層にしてはどうかと考え始めた。カジュアルは、確かに余暇に充実をもたらすのかもしれないけれど、僕にとっては余暇の装いなんて、「普通に見えればいい」ものだったのだから。
ビジネス=スーツ、ビジネスカジュアル(カジュアルも兼ね備える)=ジャケパンの2層。
結果、週末2日しか出番のなかったカジュアルウェアは、平日5日にも用いることのできるビジネスカジュアルなウェアとなる。当然ながら、ビジネスに用いることのできるくらいなので、カジュアルよりも畏まった印象になるかもしれないが、失礼にはあたらない。それより、週末にスーツよりも高いヴィンテージのかっこいいジーンズを新調して履いたけれど、評価されないばかりか、「なんだか古臭い、清潔感のないジーンズを履いているな」とマイナス評価されてしまうリスクを犯したくないと、僕は思っている(だから、僕のクローゼットにジーンズは一切ない。もっとも、出張の際に予想以上に重量を取られてしまうのも一因。)
よって、週末のカジュアルウェアを考える、というよりも平日と休日、どちらも使えるビジネスウェアに投資する、と考えたほうが自然だ。この考え方が、クールビズVSフォーマル、カジュアルVSビジネスの迷いを幾分打ち消してくれる。すべてビジネスに通じる服装(戦闘服)を選んでいるのだ。同時に、フォーマルで培ったルールをカジュアルに転用することで、学生が決してできない、より洗練された、大人のノームコアをカジュアルでも実現できるのだ(少し強引かな)。
このようなオフィスカジュアルも完成するとき、僕たちは、協調性もあって、意図的にカジュアルとフォーマルの使い分けのできる、TPOをわきまえた大人であると周囲に認識される。そして、もし真夏にスリーピースにタイをし、チーフを挿していたら、「今日は何か大切な打ち合わせ?」とか、「今日、業後になにか会食?」というようにその理由を知りたがられる。
「なんで、ネクタイを外さないんだ」とか「なぜ、この暑いのにジャケットを着るのか」というような嘲笑を含んだ質問(大抵の場合は、説教)は、決してされない。
この日本で言うところのオフィスカジュアルは、世界的に言えば「スマートカジュアル(Smart Casual)」に該当する。日中のフォーマルスタイルから少しカジュアルダウンさせて夕食に赴けば、海外のメンバーからも「柔軟性のある日本人」という評価を得られるし、日本同様「TPOをわきまえることのできるビジネスマン」というようにみなされる。この小さな積み重ねは、確実に信頼へとつながる。
僕たちがオフィスカジュアルを考え、投資する理由である。
(追記)
僕がネクタイをしないことはほぼないけれど、考えられるパターンとしては、デニムのシャツ(ワイドからカッタウェイの襟)でジャケットを羽織る場合。ただし、その場合でも、チーフは必ず挿す。だって、チーフがないと立体感がないよね。安価なジャケットだし。バルカポケットのメリットの1つは、視覚的に立体感が出るから。それが買えないなら、チーフをパフトで挿す。なんとも、経済的な解決策だと思っているんだけれど。
コメント