2019年度について言えば、(好きな)海外出張の機会はなく、本を書くことで自分の存在意義を保てていた節もある。
本や映画のレビューを書くことは多くないので、レビューを書く人たちの動機は正直なところ分からない。でも、2つのパターンがあるのかなと想像している。
一つは、「レビュー」というアウトプットを自分に課すことで、自分自身の頭の整理と(まとめた上で、持論を付け加えるという)周囲への付加価値提供をする場合。
もう一つは、良くも悪くも感情を揺さぶられた場合。心を動かされたというような大きなポジティブな感情が生まれたか。もしくは、(期待とかけ離れていて)あまりにひどかったため、大きなネガティブな感情が生まれたか。これらの感想も付加価値に違いはないけれど、どちらかと言えば「言わずにはいられない」とか「吐き出したい」という衝動をベースとする場合。
いずれにせよ、レビューをするという一手間はイージーでもないし、大きな労力を必要とするのは事実だろう。
2冊の僕の本について言えば、他の同種の書籍と比較して大きく3つの特徴がある。だから、→ に示すようなハードルがレビューをする側に生まれてしまう。
1.ほぼ、文字で構成されている。写真やイラストは最小限。
→文字で理解を進めなくてはならない。動画や写真、イラストというわかり易さがない。
2.著者(僕)が有名人でもなければ、服飾の専門家でもない。
→ レビューをすることのコスパが良くない。有名人でもないので、「あの本読んだ?」なんてことにもなりにくい。また、レビュー自体を見てくれる人も、売れている本や有名な人の書籍のほうが多くなるだろう。労力に対するフィードバックは他の本よりも少ないはずだ。
3.個人の経験をベースとしている。
→ 客観性が本自体にはない(かもしれない)というリスクが生じる。確かにできる限りの書籍と経験をベースに記載したことに偽りはない。ただ、僕が1万人のスーツスタイルを指南したとか、どこかのテーラーの企画を経験していたというのであれば、より一定の(日本における)客観性を担保できる。ただ、そのような経験は僕にはない。悪く言えば「この本は、あるサラリーマンのスーツに対する独り言」というような評価もできる。したがって、客観性は読者(レビューをする側)にあるとも言えるわけで、バランス良く解釈するためには、レビューする側の知識、思考、経験をも必要とする。
そんなハードルだらけな書籍にも関わらず、貴重なレビューをいただいている。もちろんネガティブなこともあるけれど、そのネガティブなレビューでさえもちゃんと読んでいただいたのだと断言できる。決して、チラッと見てとか、ある部分だけ読んで、というようなレベルではない。しっかりと読んでいただいた上で、その方の考えや感想を付け加えていただき、文章にしていただけている。
特筆すべきであり、最も喜んでいることだけれど、ネガティブでもポジティブでも、総じてレビューの文章力が高く、評価点と指摘がバランスされている。レビューしてくれている方々は、皆成熟した大人なんだろうなと感じられる。
「わかりにくい。★1つ」とか、「著者はだめ。★1つ」とか、「最高!買うべき。★5」とか、「役に立つ。すごい。★5」というようなチープ(シンプル)なレビューは一切ない。もちろん購入いただき、読んでいただき、レビューをもらうコト自体とても貴重なことに変わりはない。でも、もし、そういう一言レビューと★が永遠に残るとするならば、がっかりしてしまう。僕の労力を一言でまとめやがってという類の怒りというよりも、本創りに関わった方に心から申し訳なく感じてしまうから。
Amazon (★5って、人の本だと信用しないけれど、自分の本だと甘めに見てしまいます。)
ブックメーター(何かしら「これを取り入れよう」と言っていただけるのは、影響できているんだなぁと感慨深くなってしまいます。)
あらさわ歯科医院(お世話になっている歯医者さん。トップ画面に持ってきてくれてる♪ありがとうございます。)
直接的には、本を購入するかどうかの指標となるレビュー。でも、その言葉たちは僕にとっては宝物。2020年度を含む未来がどう転んだとしても、いただいた言葉たちは風化しないから。支えてもらっているし、これからも度々眺めてしまうんだろうな。
お金じゃ買えないものの一つ。贅沢だね。
ありがとうございました。
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